織部の形の特徴は、 |
志野織部(しのおりべ) |
織部として焼かれたものではなく、志野を作ろうとして窯の様式の変更により次第に織部風になっていったものを志野織部といいます。志野は穴窯で焼かれていましたが、次第に熱効率の良い登り窯へと変わったことから温かみのあるふんわりとした志野独特の釉調が薄れ、下絵もはっきりと見えるようになり、光沢の強いものへと変わっていきました。現在でも穴窯で志野を焼かれている方がいるように、窯の温度が上がりにくく冷めにくい窯で時間を掛けてじっくりと焼かなければ、志野独特の釉調は得られないといえます。 |
絵織部(えおりべ)
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白土に鉄絵を施して長石釉だけ掛けられたものを絵織部といいます。上記に書いた志野織部とは違い、明らかに織部としての意匠をもって作られたものです。銅緑釉が掛けられていないので、鉄絵の文様が強調されたものになっています。 |
部分的に銅緑釉を掛け分けて余白の所に |
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※下記写真の陶器は私が制作したものです。 たぬき窯陶芸工房では下記陶器を販売しています。写真をクリックすると、陶器の拡大写真及び詳細画面になります。 |
総織部(そうおりべ) |
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銅緑釉だけが器全体に掛けられたものを総織部といいます。皿などには、銅緑釉の下に文様を線彫りした物などが多く見られます。総織部の茶碗はほとんど見あたらず、皿、鉢、香合などが主で、変わったところでは香炉、 |
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※下記写真の陶器は私が制作したものです。 たぬき窯陶芸工房では下記陶器を販売しています。写真をクリックすると、陶器の拡大写真及び詳細画面になります。 |
黒織部(くろおりべ) |
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鉄釉を掛け分けて、掛け残した余白の部分に鉄絵を施し、その上に長石釉を掛けたものを黒織部といいます。瀬戸黒と同じ焼成方法で、焼成中の窯から引き出すことで急冷させて黒色に発色させたものです。黒織部と織部黒といえば沓茶碗というほど沓形の茶碗が多く見られ、文様も織部の特徴ともいえる幾何学文様が自由奔放に描かれた秀作が多く、陶工にとっても腕の見せ所だったのでしょうか。面白みのある茶碗がそろっています。ほとんどが茶碗なのですが、茶入れ、香合などにも良いものが見られます。 |
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※下記写真の陶器は私が制作したものです。 たぬき窯陶芸工房では下記陶器を販売しています。写真をクリックすると、陶器の拡大写真及び詳細画面になります。 |
織部黒(おりべくろ) |
器全体に鉄釉が掛けてあり、黒織部と同じく窯から引き出して黒色に発色したものを織部黒といいます。織部黒もほとんどが沓茶碗で、口縁部分に鉄釉と長石釉を二重掛けして釉の変化をねらったものが多く見られます。その他に瀬戸黒に似た半筒形の茶碗もありますが、器面をヘラなどで削り手で形を整えるなど意匠の強いものとなっており、瀬戸黒とは違ったものといえます。 |
※下記写真の陶器は私が制作したものです。 たぬき窯陶芸工房では下記陶器を販売しています。写真をクリックすると、陶器の拡大写真及び詳細画面になります。 |
鳴海織部(なるみおりべ) |
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赤土と白土を継ぎ合わせて白土のところへ銅緑釉を掛け、赤土には白泥と鉄絵で文様を描き長石釉を掛けてあるものを鳴海織部といいます。青織部よりもカラフルで複雑な文様になっており、赤土の素地に白と黒を使い文様を強調することで立体感が生まれ、軽やかな動きのある文様といえます。継ぎ合わせて作るので型物の手鉢や向付が多いですが、ろくろ作りの沓茶碗にも良いものが見られます。鳴海織部の名称は名古屋の鳴海地方で作られたと思われていたため、この名称が付いたという説もありますが、はっきりしたことはわかっていません。 |
赤織部(あかおりべ) |
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赤土だけで作られており、素材の赤土に鉄絵で文様を描いたり、白泥と鉄絵で描き長石釉を掛けてあるものを赤織部といいます。素材の白土と銅緑釉のない鳴海織部ともいえます。香合や向付などに見られます。 | |
伊賀織部(いがおりべ) |
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美濃伊賀とも呼ばれ、三重県の伊賀焼の花生や水指などに倣って織部の窯で作られたものをいいます。伊賀焼は窯の燃料でもある木の灰が器面に付いて青緑色のビードロといわれる自然の釉だれが景色となっていますが、それを織部では白泥を部分的に掛け、全体に薄く土灰釉を掛けてからビードロの代わりに飴色の鉄釉を流し掛けにしています。 | |
唐津織部(からつおりべ) |
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美濃唐津とも呼ばれ、絵唐津に倣って織部の窯で作られたものをいいます。唐津でも織部に倣って作られた沓茶碗などがあり、美濃と唐津の交流がうかがえます。
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