徳利について |
太古の昔から、お酒は神のものであり神にささげるものとして造られてきましたが、次第に祭事などにも使われるようになり、中国の書物である魏志倭人伝(ぎしわじんでん)によると三世紀の日本(邪馬台国)ですでに葬祭の時などにお酒が飲まれていたといわれています。この頃の酒器はどんなものだったかは分かりませんが、祭事など多くの人が集まるところで飲まれていたようですから、大きな甕のようなものが必要だったのかもしれません。 現在のお酒を入れる徳利の原型は、中国から伝わった瓶子(へいし)といわれていますが、この瓶子が神棚などに現在も使われている神饌具(しんせんぐ)としてのお神酒徳利(おみきとっくり)と燗徳利(かんとっくり)に分かれたと思われます。そして時代の変化とともに食文化の担い手も公家や武家たちから町衆などの庶民がとってかわり、それにつれて徳利などの酒器も次第に形や様式を変えてきたといえます。 現在の徳利に近い形は江戸時代になってからといわれていいますが、江戸初期の徳利は現在の徳利とは違いお酒以外の醤油などの液体も入れていたので一升や二升入る大徳利だったようです。そして時代が進み磁器などのやきものの生産が普及して一般化したこともあり、庶民の食生活に合わせて次第に徳利も小さくなってきたといえます。また酒造技術の向上により、アルコール分の強い良いお酒をつくれるようになったことも徳利が小さくなってきた要因のひとつかもしれません。 このように、酒器は時代時代において変化してきました。これからも色々なシーンや食生活の変化に合わせて変わっていくことでしょう。そして、新しい酒器を創造することで新しいライフスタイルの提案ができたら素晴しいことです。 |